昨日、久しぶりに妻とラジオをしました。
やはり一緒に奉仕をすることはいいことですね。
とはいえ、最初呼吸が合わず、
私の方がとちることが多くて迷惑をかけました。
妻はまだキリストを知らない人に伝えることに使命感を持っていて、
わかりやすく、彼らの視点に立って、とても優しい声で話すので、
私が聞いていてもいいなーと思います。
あのような優しい声で、あんな話し方で、
私にも話してくれたらなーなどと思ったりもしますが・・・
でも妻は、やはり自分で考え、自分で主に聞き、
これが御心だと確信したところを歩んでいくのが好きなのだろうと思います。
そうして賛美の働きや山里ゴスペルクラブの働きはとても祝福され、実もついてきました。
最近では、一緒に市役所に行っても、
「いまでもライブはされていますか。」とか、
スーパーのレジで、
「ゴスペルをされていた方ですよね。」とか。
よく声をかけられます。
忠実にしてきたことを神様は見てこられたのだと思います。
私はというと、
ひたすら弱さを感じるこの頃です。
主に対する信仰と希望は、なぜか失われていませんが
主への愛も今も間違いなくあるのですが、
にもかかわらず、自分の奉仕に対して、
もっと誠実に、もっと忠実に、できればいいのにな・・・
と悔い改める日々です。
一人では何もできないけれど・・・
好きだった「奇跡」という賛美の出だしです。
本当に一人では何もできない。
だから教会が必要なのですね。
もっと本音を言えば、
自分のために仕えてくれる人、助けてがいればと思います。
私の奉仕が祝福されることが喜び、
そう心の底から思える人、
でもそれは母親みたいですね。
プロ野球の有名な選手や大記録を作る人の多くは、
年上の妻が多いのですが、
そういうこともあるのかなと思ったりもします。
神が結びあわせた、妻と私、
愛することが私の生涯のテーマでした。
全くその愛を生きてこれませんでしたが、
58歳、もうそろそろ神の恵みの中で、
神の愛を流すことのできる歩みの中に入りたいと思います。
それは、まず家庭、家族の中から、
そして妻に対してなのだろうと思います。
諦めずに主にすがりながら、進んでいきましょう。
「神を信じなさい。」
「天の神ご自身が、私たちを成功させてくださる。」
isaiah