2017年8月6日日曜日

喜びと楽しみの回復

楽しかった礼拝が、戦いに変わったのはいつからだろう。
前進しようとすると必ず、そこには戦いが生じてくる。
その戦いが長く続くと戦う気力を失いそうになる。

実は、そのときに、最も大切な信仰が建て上げられ、忍耐が培われている。
時間がかかり、長引けば長引くほど、キリストへの愛が深く強く厚くなる。

十字架ですでに取られた勝利が明らかになるとき、そのことは明確に現れてくる。

でも、戦いの最中で、それに気づくのは簡単な事ではない。
主から目が離れると、周りが見えなくなる。
すべてを投げ出してしまいたくなる。
自分の弱さと罪の中で、サタンに翻弄されてしまう。

もうダメだ!
そう思ったとき、そこにキリストの御手がある。
しっかりと、でも優しく、支えてくれるイエスの温かい御手が差し伸ばされている。

どんな事があっても、決して見捨てない、
何があっても決して見放さない、
イエス・キリストが
そこにいる。

頬を伝う涙を拭うこともせず、
ただただ主の愛、神の愛の中で佇んでいる。

勝利が現される時は、もうすぐそこだ。
いや、信じるなら、すでに私たちの手の中に勝利はあるのだ。

賛美の声を上げ、主への愛を叫ぼう。

再び礼拝が、天から注がれてくる喜びの渦の中で、楽しみの場所となる。

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