2017年8月24日木曜日

礎の石に20年の年月が流れて・・・

21日から24日の夜まで、
カンボジアの孤児院に来ています。
1997年に始まって20年が経ちました。

一番最初に来たのは男の子二人、
その一人、2ヶ月だった男の子は、
もう20歳、今ではITを学ぶ大学生になりました。

もう一人、2歳で孤児院に来たPは、
もう少しで高校卒業というときに、
孤児院から卒業して、世に巣立って行きました。
彼の背中を見送りながら、
もうこの子は帰ってこないかもしれない、
きっとそう思いながら、
スタッフのM---は、心の中で涙を流していたことでしょう。

そのPが、突然、ある日曜日、
礼拝に出たいと孤児院の門を叩きました。

世の風は、そんなに優しくはなかったようです。
孤児院がどんなにあたたかい神様の愛と恵みの中で、
たくさんの祈りに支えながら守られているか、
彼は、世を一人で歩きながら深く深く、知ったのです。
心にしみ込むように。

日本からチームが来て、
昨日の夜、聖会が持たれました。
彼は、仕事を休み、やってきました。
久しぶりに会った彼は、すっかり大人になって、
とても礼儀正しく、
その顔には人生の痛みを知った影がありました。

彼は洗礼を受けるために来たのです。
彼が洗礼を受ける、
そのことを聞いたとき、
私は、本当に嬉しかったです。
言葉に表せないような、深い感動と、
神様のとてつもなく大きな深い愛を感じました。

祈りは忘れられていなかったのです。

彼と再会できた、心から溢れてくる喜びを隠せず、
彼と話していると、彼も私も涙ぐんでいました。

洗礼式のとき、
20年という年月の中で、
神の憐れみの深さと愛の大きさを思いながら、
愛することには時間がかかる、
でも必ず神の愛は夢魔食われるのだと心から思いました。

信仰と希望と愛、
決して絶えることはない。

御言葉は真実です。

孤児院からホテル帰る車の前を、
22歳になったPと20歳のVが並んでバイクと自転車に乗っています。

それどれ人生、神様の愛と計画がそれどれに豊かに現されてくように、
神さまはこの終わりの時代に礎の石として
豊かに用いてくださるでしょう。

私は信じています。

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